ページ

2017年7月7日金曜日

『いまさら翼といわれても』読了

『いまさら翼といわれても』(米澤穂信 角川書店)を読み終わりました。読み終えてしまうのが惜しくて、あえて少しずつ読むようにしていたのですが、当然ですがいつかは最終ページに到達してしまうものなのですねぇ w


原作の古典部シリーズはもちろんですが、アニメ「氷菓」を観ていた人もこれは読まないと。

表題作の「いまさら翼といわれても」は、どうしてなのでしょう?不思議とタイミングがあってしまって、きょうブロクで取り上げた「地元に対する責任」というようなことに関わってくる内容でした。


あの後のえるは・・・きっと天照大神が岩屋を出て世の中に光が戻ったように、あの地で降り始めた雨が上がって日が差してくるような結末を迎えたのではないでしょうか。

6つの短編の中でひとつだけアニメ化もすでにされているものがあって、それが「連峰は晴れているか」という作品なのですが、この中に出てくる「神垣内連峰」についてはこちら。


古典部シリーズの続きもアニメの続きも、大いに期待したいところです。



追記

  • 「長い休日」が、言葉が適切かどうかはわかりませんが、折木奉太郎のモラトリアムであるなら、「いまさら翼といわれても」は千反田えるのそれでしょうし、「長い休日」の折木奉太郎に手を差し伸べたのが千反田えるで、「いまさら翼といわれても」で千反田えるを導く助けとなるのが折木奉太郎ということになりそうです。
  • ネタバレっぽくなりますが、閉じ込められる(閉じこもる)話というと、『遠まわりする雛』の「あきましておめでとう」、アニメだと「氷菓」第20話「あきましておめでとう」が思い出されます。そういえば、この話も千反田えるにとっての家や地元を考えされられる内容でした。